日本版画協会 会報№145
2009年 10月 掲載 ~特集:結婚、そして子育て~
作家と結婚と子育て
この原稿の依頼を受けた当初は、作家と結婚の話なんて どう書いたらよいかわからず、断 るための理由を探して、会報係りの為金さんに失礼ながらメールでご相談申し上げたところ、もっと若い世代の会員の方々に経験談として 私の場合はこうだっ たと気軽に話してもらえたらいい、ということでした。
-そっか 私はもう若くない?か-
作家としては まだまだスタートラインにたったばかりなのに、気がつけば大学を卒業して もう10年が過ぎていたのだ。今や学生のうちから どんどん 若い新しい作家がでてきて、毎年注目を集めている。かつて自分もそうだったかな?と今さら振 り返り、いやいや まだまだ 私もこの辺では若いママで通っている。我が子は私がまだ28歳だとついこないだまで本気で信じていた。(が、友達には否定されていた)子どもは意外と冷静にみている(笑)そして 為金さんご自身が実は立派な1児の父で 家事全般を受け持ち作家と家庭 を両立されていることを知りました。そして返信の中にこんな言葉がありました。「作家というのは『仕事』であると同時に『生き方』でもあるわけで、家族を 持ち、子供を育てつつ作品を作るということ全体が作家活動と考えてよいのではないでしょうか」
おっしゃるとおりで、「生き方」というのは 作品にも忠実に現れてくるところだ とこの10年の間の 結婚 子育てという経験を通して気づいたところでもありました。
やさしい為金さんのお言葉にもはや 断る理由もみつからず書かせていただくことになりました。
ミレニアム婚
それは運命の2000年 3月でした。 ミレニアム婚などと騒がれた年だったが、私も縁があって、結婚することになりました。1998年の版画協会展で 山口源新人賞を頂いて準会 員に推挙させて頂いた2年後のことでした。その頃私より10年くらい長いキャリアを持つ中堅と思われる、ある版画家が新人作家として紹介されている記事を 読んで、この方が新人というのなら、私はそれ以下、新人以下ということは、まだ作家とさえ認められていないということ。それならば やりたいことをやろう ではないか。そして10年後に本当の新人作家と呼ばれるようになろう、そのためには もっと 人生の経験をつもう となぜかそんなことを思ったのを覚えて います。自分の人生だから これから起こることすべて、いいことも悪いことも すべてを受け入れる覚悟で結婚を決意しました。というとおおげさですが、成 り行きとも言えるかもしれませんが。
その頃は 版画工房でアルバイトをしていたので、住居となる横浜から 版画工房のある池袋までを通う毎日。どうしても通勤時間がかかるので、家で出来る仕事は持ち帰り、家でやるようになりました。6畳もないマンションの一部屋をアトリエにして、バイトの仕事と作家としての仕事を並行して、するようになりました。主人は夜も遅くなってから帰ってくることが多く、逆に言えば比較的自由な時間があったと思います。
しかし,子どもが出来てからは、想像をはるかに絶する程大きく生活は変りました。
版画協会にも授乳室を
それから2年間で、年子の2人の男の子にめぐまれました。そして 子どもが保育園に入るまでの2~3年間が、最も辛かった時期といえると思います。長男はかんしゃくもちで夜なきがひどく、 当時子どもが寝ている間に作品をつくればいいや なんて軽く考えていたのに、とんでもなく、さあ作ろうと机に向かうと必ず泣き出して。あげくのはてにはア トリエまでやってきて、泣き崩れリトグラフで使う汚れた水がはいったバケツをひっくり返されました。でもあきらめが肝心で 長男に私の机をゆずってあげて そこにすわらせ 筆と絵の具を持たせたら 何時間か落ち着いていましたね。まだ2~3歳くらいだったと思います。その後保育園に行きだして生活のリズムがついてくると自然に 夜なきはおさまりましたが、今度は次男のアトピーが悪化。またまた夜も眠れず掻きまくる。本当に自分の運命をのろいました。主人は例のごとく仕事で毎晩遅 く、子どものお風呂も食事もすべて私一人でこなさなければなりませんでした。当然絵なんか 描ける状況じゃありませんでした。
(でも版画協会だけは欠かさなかったけど)
そんなとき 版画協会展の審査等のお手伝いで都美術館に行ったある日 会員の佐藤照代さんに明るくいわれました。「二人産んだの?すごいね。版画協会にも授乳室が必要ね」気持ちがとっても軽くなりました。
しかし当時3歳の長男は私の描いた絵をみて 怖くて後ずさりをして 泣き出してしまいました。私の絵は、人間をテーマにしているので私生活に余裕のない状態ではそういう人間像しか描けないものです。それでも 描いているだけで、私自身は救われていたと思いますが。
絵に救われる
子育てを始めて、あまりにも大変でどうしようかと悩んでいた時に、近所親にある「親と子 のつどい広場、ぽっぽの家」に通うようになりました。とにかく家に母子3人でいたらどうにかなってしまいそうだったのです。そこで リサイクル工作という プログラムに参加したときのことでした。それは 久しぶりの感覚で、とても 心地よい感覚。子どもが産まれてからというもの 何かを作る という感覚を すっかり忘れていたのだ。リサイクル工作だから、プラスティックの空き容器や、余った材料で、雛人形を作ったり、写真立てを作ったり というもの。ゴミと なって捨てられてしまうものを工夫して価値のあるものに変えていく。たかがそれだけのことだが、やっぱり 私はつくることが好きだと再確認することができ たのです。つくることで気持ちが救われたのです。
この感覚は、私が子どもの頃の記憶にも似ている。幼稚園児の私は、とてもはずかしがりや で、内向的な性格でした。でも、絵を描くことが好きで 幼稚園の課外授業の絵画教室に通うようになりました。早生まれだった私は、言いたいこともうまく言 えずに、絵を描くことで自分を表現していたのかもしれない。お絵かきが上手ね と褒められるとますます調子にのって 私は絵が上手だと自信をつけて、他の 勉強にも積極的になれたのを思い出します。つまりその時も絵で救われた?のだと思います。
そして今では週に1、 2日の割合で リサイクル工作で出合ったママ友に手伝ってもらいながら、子どもの造形教室を開いています。とにかく絵に関わる仕事がしたくて始めたのでし たが、子どもの作品は本当に面白いし、私自信とても勉強になります。そして自分がそうだったように、絵や工作で救われる子どもが必ずいる。つくること、つ まり芸術には そういう力がある。そうやって、私はこどもと共に生きなおす 二度目の人生のつもりで、我が子とともに成長していこうと決めたのです。
現在進行形の新人
そして作家として一番 大切なことは「つくり続けること」だと私は思いますし、今はそん なことしか言えないのが正直なところですが。出来ないなら出来るようにすればいい 時間がないなら時間が無くても出来ることをやればいい。お金がないなら お金がなくても出来ることをすればいい。時には逆らわず、流されてみるのも いいもの。
事実 結婚 出産の後 個展の機会を何回か失ったし、切迫早産で2ヶ月も入院して、高知トリエンナーレの受賞式にも参加できなかったり、作家としての大切 な出会いのチャンスは幾度となく逃してきたりしたかもしれない。友人ともあまり飲みに行けないし、誘われなくなるし。画廊のオーナーには 子どもができる とね・・・なんて意味ありげな舌打ちをされたことも。
しかし、子育ては一生つづくわけではな い。一筋縄ではいかず、本当に大変なこともたくさんありますが、子育てを通して多くのことを学べると思います。次男がアトピーになったときは「食養生」の ことを勉強し、実践したらすぐにアトピーが改善しましたし。子どもを通して地域とのかかわりもぐっと深まり、知り合いが誰もいなかったこの町にもたくさん の出会いが生まれましたし、なんと言っても、私のおなかの中で成長し産まれてからも母乳でそだち、ここまで大きくなる。その神秘的な経験はすばらしいも の。
一方、作家としては 私はまだまだ現在進行形の新人です。来年で結婚10周年という節目をむかえますが、結婚する前も後も 個展の前なんかは寝る時間を削って制作というところでは 何も変っていないですし。結婚してもしてなくても 30代はどちらにしても子育てなり仕事なりに追われ 社会にもまれ 厳しい現実が待っていることだろうと 思います。
2009年 宮崎 文子
「ひらめき」 2008年リトグラフ
「Mr.&Mrs.Onion」 2005年リトグラフ
自宅の壁に子ども達の作品を飾り,その前で記念撮影・・・。
元気にポーズを決める弟にみんなはちょっと疲れ顔・・・。よくある家族写真を撮るのは本当に難しい・・・。
3日間 撮り続けました。
2005年 土井 聡 撮影
「管理人は忙しい」2008年 リトグラフ
「四つの心をもつ」2008年 リトグラフ